石塚千明が語る 魔天楼サーガ その5

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 さぁ、いよいよ「怪物ランド・サーガ」も最終章「エピソード⑤」に突入です。

ノッケからいきなり何ですが最終章はいわば「祭りのあと」。わが世の春を謳歌していた怪物ランドにもレギュラー番組終了と同時に「冬の時代」が到来します。
いくら深夜番組とは言えあれだけの人気を誇っていた訳ですから当然各局のプロデューサーやディレクター、各制作会社から新番組の企画が殺到するものと僕は思っていました。
後で考えれば僕が先頭に立って新番組を企画すべきだったのかもしれませんが、じっくり腰を据えて番組を企画する「田辺エージェンシー」の事、何か秘策を練っているにちがいない、何かあったら僕にもお声がかかるだろうとのんびり構えていたのです。

僕個人の事情で言えば、「何、ソレ!?」の頃から時間ができたので川崎良さんが新番組を紹介してくれいきなりゴールデン・タイムの番組を構成(多分「鶴瓶のテレビ大図鑑」)。高麗さんの紹介で「ファッション通信」の構成を手がけるようになったのも多分この年(’86年)の10月からだったように思います。そんなこんなでレギュラー番組が一気に3~4本になり身辺がにわかにあわただしくなって来ましたが僕はいわば怪物ランドの座付き構成作家、平光君からのうれしい新番組のお知らせを待っていたのです。

そんなある日、多分昭和61年(’86)12月か昭和62年(’87)1月頃、平光君から待望の連絡が入りました、「今、面白い事やってるから見に来い」と。勇んで行ってみるとそこは音楽の練習用スタジオ、シンセサイザーやらギターやらパソコンやらを並べて怪物ランドがミュージシャン然として鎮座在してるではありませんか!訊けば、田辺社長にこれからの展開を相談した所、「お前ら自身の新しいフォームを考えろ。それまではテレビに出なくても良い」と言われ悩みに悩んだすえ出したのがこれだ、と。これからはコントじゃない音楽だ、と。ついては、自分たちが楽器を演奏してオリジナル曲を歌って新しいスタイルのバンドを作るんだ、と。「よりにもよってバンドかよ~、新展開は新展開だけどすげぇ急展開だな~、第一楽器できたっけ?」と僕。郷田君は多少ギターに覚えがあるものの平光君は高校時代ドラムを遊びでぶっ叩いていただけ赤星君に至っては酔っぱらってコンガかマラカス振り回していたのしか見た記憶がございません。「だから練習するんだ、ついては比較的こなしやすいシンセサイザーを覚えて打ち込み系のテクノ・バンドにするんだ」と平光君。見ればインストラクターの先生もいらっしゃる。平光君はパソコン買い込んでシンセ、同じく郷田君はシンセとギター&メインヴォーカル担当、赤星君はエレクトーン担当らしい。

さっそく練習開始。先生が出した課題曲と作りかけのオリジナル曲の一部を拝聴させていただきました。大体昔から友達の素人バンドの練習に付き合うと1曲として完奏できた試しがないのですがここでもその風景が再現された訳です。見たところ平光君はパソコンに夢中らしく「新しいソフトが欲しいんだよねぇ」とか言ってます。音楽を聴くのは大好きですが事、楽器に関しては僕も平光君以下、口出しのしようがありません。ま、給料制だしじっくり構えて練習すれば怪物ランドの事だからいずれ面白いスタイルのバンドができるにちがいない、と今後に期待してその日はスタジオを後にしたのでした。

その後、3~4ヶ月たってから再び練習に付き合ってみると確かに演奏の腕は上達。オリジナル曲も3~4曲出来てるようで聴かせてもらうとギャグ・タッチの歌詞でなかなか面白いと僕は思いました。平光君としては、オリジナル曲を10曲ばかり作ればCD(レコードか?)が出せるし、何と言っても自分たちだけでライブが出来る、コントやギャグを織り交ぜたMCを挟みながらライブをやれば、これすなわちニュー・スタイルのコミック・バンドではないか、と言う事で役者らしく最終的にはステージに立ちたいようでした。コミック・バンドからコント・グループになった例は数多くありますが、コント・グループからバンドになっった例は聞いたことがないのでこのユニークな構想には僕も充分に納得。ですが僕にタッチできる部分はないし(作詞の能力については「ウソップ」で実証済)、「頑張ってくれ」と言う他ありませんでした。

結局、その後半年ぐらいかけてオリジナル曲のヴァリエーションも完成。吹き込んだテープを御前会議にはかったところ音楽に強いこだわりを持つ田辺社長のゴーサインは出なかったようです。いくら練習を重ねたとは言え急ごしらえのバンドですから無理な試みだったのかも知れません。さらにその後形を変えいくつかの展開を試みたようですが、最終的には「温存策」に耐えきれなくなって自ら退社を申し出たそうです。

その後、平光君は「演劇集団 円」に戻り、赤星君は前出の菅原さんが設立した会社「ぐあんばーる」に所属、郷田君は個人マネージャー(多分、現在の「ラブ・ライブ」社長?)のもとでばらばらに俳優としての仕事をするようになったのでした。怪物ランドとしては平光君言うところの「潜伏ランド」(?)の状態ですが、個々の俳優としては三人とも昼メロや深夜ドラマに時々出ていたので一応安定しているように見えました。

そんな怪物ランドが3年間にわたる沈黙を破って再び活動を再開したのが「怪物ランド・プロデュース公演」だったのです。VOL.1「WATER」からVOL.7「フェロモン」にわたる公演の詳細は本サイトの別コーナーにリスト・アップされてるのでここでは詳しく述べません。大体僕は稽古と本番を1回づつ見ていますが(「フェロモン」、「セクソフィー」、「ドミネーション」はビデオで記録)個人的な印象をざっと挙げてみましょう。

「WATER」(’89年9月)

この時確か僕は平光君に「アート・オブ・ノイズ」のCDを提供しています。気に入ったようで以降の公演にも度々使われてました。五幕のオムニバス形式(プレイ・コンプレックス)で怪物ランド復活の心意気が感じられました。
僕としてはフレッシュな宮崎強くんが印象に残ってます。

「フェロモン」(’90年7月)

バンド練習の成果を第三幕で披露してます。バンド名は魔天楼時代僕がさかんに使ったのをもじって「アラマッチャン・パーソンズ・プロジェクト」。一番印象的だったのはもちろん少女役の女の子。

「セクソフィー」(’91年3月)


どうも平光君の体質なのかセクソフィーと言う割にはエロスが感じられません。
ま、これは魔天楼時代から言われてた事ですが…。だからこそ一条さゆりさんの存在感が圧倒的に目立ちましたね。

「ドミネーション」(’92年3月)

僕もスーパーバイザーとして参加してます。平光君・一条さんのパートを見ていただけですが、久しぶりに芝居に関わってみて感じたのは「やっぱ芝居は手間暇かかる」でした。

「怪物ランド・プロデュース公演」全体を通しての僕の感想は「ウェルメイドで上々の出来」。
後年平光君も言ってました「面白くてそこそこ評判のとれる芝居はいつでも作る自信がある。でもそう言う芝居を何本つくっても何にも変わんないんだよね…」 
 これがその後「怪物ランド・プロデュース」をやらない理由なんでしょうね。

この時期、僕も何もしなかった訳ではありません。

「ウソップ」終了から5~6年たち現場のプロデューサーやディレクターから「あの番組面白かったね」と言われるたびに、遅まきながら「ウソップ・リターンズ」的な番組企画を持っていってたのです。しかし「潜伏トリオ」時代の事、最早怪物やウソップのネームバリューだけでは通用しないという事で、一時期、週一回の割で僕の家に怪物の三人が集まり新番組の企画出しの会議を行っていました。そこで出たネタを僕が企画書にまとめ知り合いの制作会社に持ち込んでいたのですが、そんなある日、赤星君の所属事務所「ぐあんばーる」の社長・菅原さんからこんな提案がありました。
「企画書だけではインパクトがないので、企画内容を映像化した番組企画ビデオを作ってみては?」と。ついては制作費や様々な手配は全てやってくれると言うありがたいお申し出。こうして10本ぐらいの企画の中から合体・抜粋して僕が台本を書き、「ぐあんばーる」所属の井上明美さん(NHK朝の連ドラに出演、怪物ランド・プロデュース公演にも出演している女優)をアシスタント役にフィーチャーして、「番組企画ビデオ」のロケは’93年3月27日から28日の二日間にわたって行われました。絵の出る企画書として撮影したのは次の3本。

「イベントバラエティー番組・フリーマルシェ」

 これは当時平光君の「ギャグの逆セリ落とし」と僕の「付加価値マーケット」のアイデアを合体した企画。当時流行り始めていたフリー・マーケットを番組が主体となって開催、一般から応募したユニークでこだわりのある露店が並ぶ中で怪物オリジナルのお店を出店。例えば「付加価値マーケット」では小泉キョンキョンの口紅が付いた紙コップを局のカフェかなんかで入手してきて3万円ぐらいで売っちゃうとか、「無形物マーケット」では使い古されたギャグや「一年間醤油を使わない根性」「一日パンティーをはかない勇気」など形のない物を販売。マーケットのレポートと共に応募状況や販売後の検証レポートも合わせて番組にすると言うもの。ロケは「世田谷公園」で実際に行われていたフリー・マーケットに潜り込んで撮影しました。

「男の育児番組・ファイナルプリンセス」

当時はすでに怪物三人ともに良きパパという事で、男の育児をテーマにしたシチュエーション・ドラマ。かわいい盛りだった平光君の愛娘・栗子ちゃん(今はもう高校生?)をおもちゃで釣って連れだし三人のパパという設定(怪物プロデュース「フェロモン」の設定と映画「スリーメン&ベイビー」の設定を合体)でアドリブ・ドラマを展開。ゲスト・トーク・コーナーでは女性タレントを呼んで「お父さんとはいつまでお風呂に?」とか「初体験はお母さんに報告した?」とか育児の参考という理由でエッチな質問をしちゃおうと言う番組。

「外国語バラエティー番組・サルでもわかる英語」

 流行りのCMのキャッチコピーや人気テレビ番組の名場面を英語劇に翻訳してケース・スタディーしようという嘘くさい教養講座番組。もう明らかに「ウソップ」の予告編パロディやCMパロディの焼き直し版ですね。

以上の3本を平光君と僕のMCを挟みつつプレゼンテーション、ちゃんとBGMもテロップも入れて30分ぐらいにまとめたこの「番組企画ビデオ」、十数本コピーして各制作会社に配ったのですが、これと言った芳しいリアクションは得られませんでした。その後「とんねるずのハンマープライス」を見たとき「付加価値マーケット」に発想が似ていてみんな同じ様な事考えてるんだなぁと思いましたが。(決してパクッたなどとは申しません)。

他に「ぐあんばーる」さんがらみの企画としては、この後1年ぐらいしてから「番組企画ビデオ」の時のプロデューサーとして様々な手配をしてくれた制作部長(当時)・白石高明氏からこんな提案がありました。
「怪物ランド解散公演と銘打ってライブは出来ないだろうか」と。ついては「築地本願寺の境内にあるブディスト・ホールを使ってお葬式形式でやったら面白いんじゃないか」と。さっそく考えてみましょうと、我が家に怪物を招集して白石君からの提案を伝えた所、すかさずキャッチフレーズは「すいません、僕たち解散するの忘れてました」だねと平光君は乗り気。僕は「怪物ランドを葬るんじゃなくてネタを葬るの。かつてのネタを舞台で披露してそのカツラとか小道具とか衣装を棺に入れてお坊さんがお経をあげる、と」「じゃ、チラシはご会葬のご案内だね」と平光君。「そう、入場料は御霊前。スタッフ全員喪服着ちゃってさ」と、たちまちアイデア続出しましたが、「でも怪物ランド解散しちゃって次に何かやりたくなったらどうすんの?」と郷田君。「次回は怪物ランド復活公演になる訳だよ。解散・再結成なんか何回繰り返したっていいんだから」と僕。
様々なアイデアが出て盛り上がったのはいいんですが、肝心の「ぐあんばーる」所属の赤星君がいくら待っても来ない。聞けば旧友と一杯飲んでから来ると。赤星君は飲み始めちゃったらもうアウト、打ち合わせなんぞ最早忘却の彼方。また機会を改めて話し合おうと言うことでその日は散会。結局その後なんだかんだで時間がとれずこの件はバックレる事になってしまいました。(せっかくの良い企画なのに白石君ごめんなさい)

正確には覚えていませんが、この時期「怪物ランド」はテレビの深夜番組にレギュラー・コーナーを持っていました。
それが、井森美幸さんのトーク・バラエティー番組「イモリ帝国」。(日テレ・深夜) 川崎良さんのお声がかりで構成作家にフィーチャーされた平光君がこの番組内で作ったのが「東京フュジティブ(逃亡者)」。
内容は無国籍都市(多分、下北沢あたり)を舞台に、「アトム・コント」のようなデタラメ語をしゃべる三人が追いつ追われつの追っかけっこを繰り広げるサスペンス・ギャグ・ドラマ。台詞はすべて字幕スーパーで怪物をよく知っている人には面白いと思うのですが、所詮は人のフンドシ、確か半年ほどで終了したと思います。ちなみにこの番組内のドッキリ・コーナーに僕も平光君にダマされて一度出演しています。多分これが「怪物ランド」としてテレビに出演した最後の番組だったと記憶しております。

 ともあれその後怪物ランドの三人は俳優・声優として大活躍といえる健闘ぶりを見せているのはご存知の通りです。
中でも平光君は近年、演出家としての手腕が高く評価され「美少女戦士セーラームーン」(僕も’94年の初演出と’98年の演出作を見ました)はじめ「ハンター×ハンター」からモー娘。シェイクスピアに至るまで硬軟取り混ぜて上質の舞台を手がけております。結局、三人とも高校時代からの初志を貫徹、演劇の世界で活躍してる訳ですから、まずはめでたし。

最近は年に2~3回顔を会わすんですが、会うたびに口をついて出るのが「何か面白いことやんない?」。
「ウソップランド」から今年で早20年、ここまで来たんだ、 僕も“継続は力なり”を肝に銘じてじっくり腰を据え、前向きに継続性と発展性のある企画を考えるとしましょう。

これからも、平光君、赤星君、郷田君、そしてユニットとしての怪物ランド、さらに願わくば石塚千明めの活躍に、乞うご期待!!

と、エールを贈って筆を置くことにしましょう。ご精読ありがとうございました。

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